ふかわりょう「立石ブルース・前編」寅さんはいないけど

2024-11-13    HaiPress

第17回「立石ブルース・前編」寅さんはいないけど

私は、裸の老紳士たちに混ざって、湯船に浸かっていた。文京区で味をしめたから、きっとこうなるだろうとは思っていたけれど、案の定、湯けむりの中に身を潜めていた。ただ、それもこの界隈、葛飾区というエリアだからこそであることは否定できない。

その日、私はいつもの小さなショルダーバッグに加え、もう一つ、トートバッグを提げて、都営三田線の電車に揺られていた。三田駅で都営浅草線に乗り換えると、成田に向かうであろう外国人家族が大きなスーツケースに振り回されている。カラフルなミルフィーユを形成している路線図によれば、この列車は快速なので、もしかしたら目的の駅を通過してしまうかもしれない。押上駅でホームに降り、数分後にやってきた各駅停車に乗り換えると、大きな川を跨いだ。

工事中なのか、ベニヤ板で覆われたホーム。階段を降り、改札で精算をし、再び階段を上がった私を、真っ白な壁が待っている。背の高い白亜の壁が横に伸び、巨大迷路の中にいるようだった。壁伝いに歩くと、大きな踏切がカンカンとリズムを刻んでいる。赤い電車が音を立てて通過し、遮断機が上がる。私は、南北に分断する線路から、向かい合うホームを眺めた。

まっすぐに伸びるカラフルな商店街。大きなアーケードを潜ろうとする私を脇へ誘うものがあった。黒ずんだ軒先に浮かぶアクリルケースをコロッケやメンチカツたちが焦茶色に染めている。その先には、「立石仲見世」の文字が架かった小さなアーケードの入り口が見える。引き寄せられるように歩く線路沿いの道。目の前に現れたのは、隣のカラフルな商店街と対照的な、色褪せた世界だった。

天井に吊るされた細長い蛍光灯が、まぶたのように降りるシャッター群を照らしている。少し早く来てしまったか。看板に閉じ込められた文字や、横に伸びる細い路地に惹かれながら薄暗い商店街を歩いていると、鉄のまぶたが持ち上がる音がした。女性が立っている。

「呑んべ横丁って、どっちですか」


すると彼女は残念そうに答えた。

「呑んべ横丁は、もうないですよ」

まさにあの白い壁の向こうにあったのだそう。一年くらい前に取り壊されたとのことだが、そこに比べたら、この仲見世商店街なんかはまだ新しい方だと言えるほど、ディープな世界だったようだ。さらに、耳を疑う言葉が続いた。

「こっちも、もう、あと数年でなくなりますからね」

この風情ある商店街もやがて再開発の波にのまれてしまうのだという。京成立石駅は今、大きな変化の時を迎えていた。

私がこの地を初めて訪れたのは、ほんの半年前のこと。書籍のサイン会をSNSで募ったところ手を挙げてくださったのが、近くにある「POTATO CHIP BOOKS」という小さな書店。立石商店街という響きは何度か耳にはしていたかもしれないけれど、強い関心を抱いていなかった私は、「葛飾区」といういわゆる下町のイメージを抱きながら車を停めると、小さな踏切を渡る人々の姿を横目に、書店に向かう。

独特な空気を察知したのは、大通りから一本入った時だった。定食屋の暖簾やスナックの看板。軒先に並ぶテーブルで飲んでいる人たち。前を通る私に威勢よく声をかけてきた和菓子屋さん。初めて足を踏み入れたのに、どことなく懐かしさすら感じる。これが葛飾区ってやつか。さすが寅さんの街だ。次は電車で飲みにこよう。そう願ったのが、ほんのり肌寒い4月ごろ。この時、すでに白い壁は伸びていたが、ここまで大きなプロジェクトだとは思っていなかった。

その後、ここがいわゆる千円でベロベロになる“せんべろ”の聖地であり、「呑んべ横丁」というものがあったことを知った。店は閉業だとしても、その跡地を散策できるだろう。そう思っていた矢先、仲見世通りの女性の言葉だった。

「この壁の向こうにあったのか」

壁に掲げられた新しい駅舎のデザインは、高架化され、まるで違う外観だった。ここに高層ビル、いわゆるタワマンも建つらしい。北口から伸びる白い壁には、それまで彩っていた立石の街の絵画が貼られている。青空を反射するバリケード。隙間から覗くと、橙色のショベルカーが、轟音を響かせて地面を掘り起こしている。その様子は、まるで巨大生物たちが暴れているようだった。


次回は、11月27日(水)10時公開予定です。

連載「東京23区物語」は、フィクションとノンフィクションが交錯する、23個のストーリー。ふかわりょうさんの紡ぐ、独特な世界をお楽しみください。記事一覧はこちら

◇PROFILE

ふかわりょう


1974年8月19日生まれ。神奈川県出身。


長髪に白いヘア・ターバンを装着し、「小心者克服講座」でブレイク。「あるあるネタ」の礎となる。現在はテレビ・ラジオのほか、執筆・DJなど、ただ、好きなことを続ける、50歳。


10月17日『日本語界隈』(ポプラ社)刊行予定。3月に小説『いいひと、辞めました』(新潮社)を刊行。その他の著書に『スマホを置いて旅をしたら』(大和書房)、『ひとりで生きると決めたんだ』(新潮社)、『世の中と足並みがそろわない』(新潮社)などがある。

レギュラー


TOKYO MX「堀潤 Live Junction」毎週火曜18:00~19:00 &「堀潤 激論サミット」毎週火曜20:55~21:55


Fm yokohama「ロケットマンショー」毎週火曜日深夜2:30~3:00(Podcast毎週水曜7:00更新)


TBS「ひるおび!」第3・5水曜11:50~14:00

オフィシャルサイト http://happynote.jp/index.html


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