東京都杉並区のJR荻窪駅前にある老舗ボウリング場「荻窪ボウル」で、区内に住む1924(大正13)年生まれの秋田豊さん(100)は毎週1回、家族と一緒に3ゲームほどをこなす。「90歳若いひ孫に負けないこと」が目標のアマチュアボウラー。長生きと長続きの秘訣(ひけつ)は、愛する家族と楽しんで投げることにあるようだ。(佐藤航)
100歳でボウリングを楽しむ秋田豊さん。家族とのプレーが生きがいになっている=東京都杉並区の荻窪ボウルで
9ポンド(約4キロ)のボールを抱え、慎重に歩を進める。レーン手前でいったん止まるのは、一連の流れで投げるとバランスを崩すから。静止状態から投じたボールは、ガーターぎりぎりのレーン右端をかすめ、弧を描いて中央へ。右手を離れて5秒ほど後、ボールはゆっくりと10本のピンを倒した。
長女の坂井ハル子さん(76)夫妻とプレーし、1ゲーム目で121点をマークした。ストライク四つ、スペア一つと堂々の内容。「こんなの久しぶり。たまたまだよ」という謙遜の言葉も、どこか誇らしい。
ボウリングを始めたのは85歳。カメラメーカー勤務の経験を生かして写真教室の講師をしていた頃、家族に誘われて荻窪ボウルに通い始めた。それから15年。日本ボウリング場協会が毎年9月にまとめる「全国長寿ボウラー番付」の2024年度版で、日本最高齢となった。
基本的に毎週火曜の夕方、都合のつく家族の誰かとボールを投げる。自己流で腕を磨き、5年ほど前には145点の自己記録を出した。最近は10歳のひ孫がめきめきと腕を上げ、互角の勝負を繰り広げることも増えている。
100歳になっても元気にボウリングを続けられる秘訣は「特にないよ。楽しんで投げるだけ」。ボウリングの魅力については「世代を超えて楽しめるところ。90歳も下のひ孫と一緒にやれるスポーツなんて、他にないでしょ」。
言葉通り、プレー中は常に笑顔。ストライクを取った後はもちろん、ガーターになった後も。「前の日から楽しみにしているからね」。プレーはもちろん、家族とのひとときが生きがいになっている。
最近は少しずつ右手の動きが悪くなってきた。使うボールも3カ月ほど前に10ポンドから9ポンドに変えた。「100年も生きているから仕方ないね」と少し寂しそうなハル子さんに、秋田さんは「なるべく長くやりたい」と前向き。その球筋のように粘り強く、今週もボウリング場に向かうのを楽しみにしている。
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