鈴木其一重要文化財《夏秋渓流図屛風》19世紀日本・江戸時代紙本金地着色六曲一双各165.8×363.3センチ根津美術館蔵
見れば見るほど不思議な絵だ。江戸時代後期の絵師・鈴木其一(きいつ)(1796~1858年)の《夏秋渓流図屛風(びょうぶ)》が描くのは谷川が流れるヒノキ林。右隻は夏、左隻は秋を表す。金地に木々の緑と水の群青が映える鮮やかさは、尾形光琳(こうりん)に代表される琳派の流れをくむ。だが、よく目を凝らすと…。
金泥で線が引かれた渓流はスライムのような粘っこさを感じさせる。妙に大きめのユリはこちらをのぞき込んでいるようで不気味。他の写実的な描写に比べ、クマザサはなぜか漫画のようにデフォルメされている。岩木に付着した無数のコケは増殖しているかのごとく。平板に塗られた左右の斜面の端は溶け落ちそう。極め付きは、右隻中央のヒノキに止まるセミ!何と真横向きに描かれていて、その姿は何とも異様だ。
数々の奇異な表現から、伊藤若冲らとともに「奇想の画家」に位置付けられることもある其一。ただ、基盤には過去の日本画の伝統がしっかりと息づいている。1世紀前の京都で活躍した光琳に傾倒して「江戸琳派」と呼ばれる画風を確立した酒井抱一(ほういつ)の下で、琳派への理解を深めた。抱一の死後、30代後半で関西地方などを旅した折には豪壮な狩野派や写実的な円山派の作品を勉強したと考えられる。
本作が描かれたのは40代半ばとみられ、根津美術館の野口剛(たけし)学芸部長は「師の影響から解放され、上方で学んだ多様な絵を取り込んで統合した『スーパー・ハイブリッド』と言える作品。画家の個性が爆発している」と評価する。
琳派の特徴は、単純な色彩感と華やかな装飾性。背景はなく、地面ははっきり描かない。光琳が夏を中心に30種近い草花を描いた《夏草図屛風》と比べると、その影響と違いは明らかだ。
尾形光琳《夏草図屛風》18世紀日本・江戸時代紙本金地着色二曲一双各168.0×178.2センチ根津美術館蔵
「近世から近代への過渡期で、以降は画家たちが自身の内面的な要素を重視していく。本作からは、過去の作品の学習を経て近代的なものが生まれていった過程も感じ取れる」と野口さん。
特異さゆえに、秘蔵されてきた歴史もある。実業家の初代・根津嘉一郎が入手したのは1938年の入札会だが、当時の其一は抱一の亜流とみなされ、評価が低迷していた。嘉一郎の没後に設立された美術館に所蔵されたものの、古美術品中心のコレクションの中で展示機会がないまま、時が過ぎた。
一躍注目を浴びたのは74年。研究者による琳派作品の調査によって「発見」されたのだ。広く紹介されたことで研究が進み、2020年には其一の作品として初めて重要文化財に指定された。嘉一郎の審美眼は大したものだ。
視覚的なインパクトは現代的で面白く、緻密で繊細な描写も。まさに「見る楽しさに満ちている」(野口さん)逸品。じっくり鑑賞し、季節の移ろいを感じたい。
◆みる根津美術館(東京都港区)=電03・3400・2536=は、東京メトロ銀座線・千代田線・半蔵門線表参道駅から徒歩8分。《夏秋渓流図屛風》と《夏草図屛風》は10月20日までの企画展「夏と秋の美学-鈴木其一と伊年印の優品とともに-」で展示中。開館時間は午前10時~午後5時(入館は4時半まで)、月曜休館(祝日は開館し、翌日休館)。オンライン日時指定制で、入館料は一般1300円、中学生以下無料。
文・清水祐樹
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