<平和の俳句2024>
赤まんまいくさの果てを見届けり
中村節也(96)東京都北区
宮沢賢治の研究を長年続けてきた中村さんはタデ科の一年草「イヌタデ」を見ると、終戦時に住んでいた自宅(現在の東京都目黒区緑が丘)を思い出す。「戦争が終わり、自由になれた」
赤い小さな花や果実を赤飯にたとえ、「赤まんま」と呼ばれる。疎開前に家族で住んでいた荏原町(現在の品川区の一部)の自宅や勤務先はたび重なる空襲で焼けたが、緑が丘の自宅は無事だった。
太平洋戦争での体験を話す中村節也さん=東京都北区で(川上智世撮影)
小学校時代の恩師の影響で西洋音楽に熱中し、バイオリンに打ち込んだ少年時代。ハワイ出身の歌手灰田勝彦さんの歌をよく聴いていたが、軍歌好きの学友などからは「非国民」とののしられ、石を投げられた。
宮沢賢治の名作「雨ニモマケズ」にある「玄米四合」の表現は、当時の配給制度に合わせて教科書では「玄米三合」に改変されていた。政府をうそくさく感じ、玉音放送を聴いた時は「やっと解放され、好きな作曲も自由にできるんだ」とうれしくなった。
同世代の学生は志願して出征し、多くが亡くなった。「戦争は本当に悲しいものです」(山口登史)
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若者を兵器にする人間魚雷が保管された洞穴、空襲で犠牲になった友の家にあったサルスベリ…。今も残る場所や草木が、戦争を経験した人たちにいや応なく「あの日」を思い起こさせてきた。東京新聞が8月中に掲載している、読者が詠んだ「平和の俳句」。ウクライナやパレスチナ自治区ガザなどで今も戦火がやまぬ中、つづられた「平和の俳句」には、悲しみ、怒り、不戦への願いが宿っている。
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